予期しないことが起きるということ

昨年「一号線を北上せよ」を読んでから、再び読むようになった沢木耕太郎の「旅する力」の一節。旅に限らず、ある事態(例としてリストラや倒産)が起きたとき、動揺して立ちすくんでしまうのは

「問題は予期しないことが起きるということを予期していないところにあるのではないか」

と。

旅する力―深夜特急ノート

旅する力―深夜特急ノート

わたし自身、不測の事態に対する瞬発的なリカバリー能力に著しく欠けていると思っているので、重要だと思う局面では、最善を目指しながらも、事が起きる前に頭の中で次善をシミュレートするのが習慣だったりします。でも、そもそもシミュレート(想定)できるのであれば、不測じゃないよな〜と思ったり(^^;;)最高気温の日に冷房のない汽車(非電化路線)にうっかり5時間以上も乗る羽目になったり、病院の休診日(土曜か日曜)にコンビニの車止めに足を引っかけて額を5針(スキーに行けず)とか、開業医がいない町で自転車で転んで膝を15針とか、仕事の予定があるのに飛行機が欠航で足止め2日とか・・・国内の旅先ではこんな、小さなアクシデントに色々とあってます。「予期しないこと」に対する能力が、こんなことで養われていくのかは疑問ですが、旅行から帰って時間が経ってみると、迷惑をかけた方には申し訳ないものの、けっこう得難い体験だったと言えたりするんですよね。でも、アクシデントの際のとっさのときの判断力(このまま行くか止めるか、はたまた右か左か)は、少しだけ磨かれたかもしれません。